福井梅の紹介

最終更新日 2018年5月1日ページID 017802

印刷

福井梅の歴史

 福井梅の栽培の歴史は古く、江戸時代の天保年間(1830~1844年)に若狭町(旧三方町伊良積)で発祥したと言い伝えられています。 梅栽培が本格的に定着したのは明治15年頃からで、普及した地域をさして、「西田梅」と呼ばれ、親しまれてきました。

福井梅

 明治・大正初期時代の西田地区の交通の便が悪く、梅の実の販売も苦労そのものでした。
 早朝に、小船を漕いでとなり村に上陸し、若狭街道を肩荷・荷車をおして港町敦賀に至りました。
 今もこの頃に里人が唄った俗謡「梅売り唄」が伝えられています。

 舟
〈今も残る船小屋の様子〉

 大正10年、国鉄敦賀線が完成し、関西を中心に広く「西田梅」の商品価値が認められるようになりました。
 戦時中には、重要軍需品として舞鶴海軍に納入され、戦後も「西田梅」は「青いダイヤ」と呼ばれ重宝されました。
 昭和42年に産地の更なる躍進を目指して、「福井梅」に名称変更が行われ、現在に至ります。

 

福井梅の特徴

「紅サシ」(べにさし)

 その名の通り、「紅サシ」は実が熟してくると日当たりの良い部分が紅色を帯びます。
 梅酒、梅干しに適しており、特に梅干しは肉厚でぽったりとした食感が特徴です。
紅サシ
「剣先」(けんさき)

 実の先端部分がやや尖っていることから「剣先」という名前が付きました。
 早い時期から大玉になるため、福井梅のトップを切って出荷されます。梅酒や梅シロップに適しています。
剣先

「新平太夫」(しんへいだゆう)

 昭和61年に県の園芸試験場で品種登録されました。江戸時代から伝わる「平太夫」梅の名前にちなみ「新平太夫」と名付けられました。
 やや晩生の品種ですが、収量が極めて多く、梅干しの品質は良好です。

新平太夫
「福太夫」(ふくだゆう)

 「新平太夫」に「織姫」を交配してできた新しい品種です。平成17年に県の園芸試験場で品種登録されました。
 果実はやや小ぶりですが、早生で収量が極めて多いです。梅酒、梅干しに適しており、福井梅のニューフェイスとして期待されています。
福太夫

 

アンケート
ウェブサイトの品質向上のため、このページのご感想をお聞かせください。

より詳しくご感想をいただける場合は、engei@pref.fukui.lg.jpまでメールでお送りください。

お問い合わせ先

園芸振興課

電話番号:0776-20-0427 ファックス:0776-20-0650メール:engei@pref.fukui.lg.jp

福井市大手3丁目17-1(地図・アクセス)
受付時間 月曜日から金曜日 8時30分から17時15分(土曜・日曜・祝日・年末年始を除く)