「地魚の聖地。若狭路」の今と昔

最終更新日 2016年9月14日ページID 033536

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「地魚の聖地。若狭路」の今と昔

若狭路が地魚の聖地と謳われる理由の一つには、古くから地域特産の新鮮な海水産物を「鯖街道」を通じて運搬し、都や朝廷に献上する役割を担っていたという「御食国(みけつくに)」としての独自の文化性が挙げられます。このことについて、過去と現在の両面からスポットを当てて掘り下げ、若狭路の食を詳しく紹介していきます。

そもそも鯖街道(さばかいどう)とは?

鯖街道とは、若狭国などの小浜藩周辺(おおむね現在の嶺南に該当)と京都を結ぶ街道の総称です。主に魚介類を京都へ運搬するための物流ルートでしたが、その中でも特に鯖が多かったことから、近年になって鯖街道と呼ばれるようになりました。

鯖街道

上図のように、鯖街道には様々なルートが存在していました。その一部として、
1.若狭街道(メインルート)
 小浜を起点に熊川、朽木、大原を経て京都出町・錦を結ぶ、鯖街道のメインルート。
2.根来道(針畑(はりはた)越え)
 古代、若狭の中心地であった遠敷地区から針畑峠を越える若狭からの京への最短路。
 一番古い鯖街道といわれる。
3.西の鯖街道
 小浜や高浜の浦々から名田庄、堀越峠を経て京都周山街道につながるルート。

 などが挙げられます。

具体的に何が運ばれていたの?

・若狭のむし鰈・小鯛
 江戸中期に係れた「日本山海名産図絵」には若狭のむし鰈を「天下の出類、珍味」、
 小鯛を「その味また鰈に勝る」と称賛している。
・若狭の鯖
 江戸中期に書かれた「稚狭考」には若狭湾での鯖の豊漁を記録している。
 「鯖のおほくとれる時は一人一夜に弐百本釣り、二宿一船に三千、もっとも大漁なり」  吹き出し1
 また、明治期の芸術家・北大路魯山人にも、
 「さばを語らんとする者は、ともかくも若狭春秋のさばの味を知らねば、さばを論じるわけにはいかない。」と言わしめている。
・京のハレの料理「鯖ずし」
 若狭湾で獲れた鯖に一塩して、一晩かけて京都に運ぶとちょうど良い味になった。
 葵祭や祇園祭などのハレの日には、塩鯖をしめて作った鯖ずしが祭りのごちそうになった。
 葵祭では下鴨神社に1匹まるごとの鯖が供えられている。
・若州うなぎ
 幕末、うなぎの仲買人川渡甚太夫は「若州もの」として人気があった久々子湖のうなぎを、
 街道筋の宿屋にいけすを作らせて生きたまま京に運び、莫大な利益を上げた。

 等々

 若狭路の食エピソード

御食国として古代から都・朝廷の食環境に密接に関わっているだけあり、若狭路には食にまつわる様々なエピソードが数多く存在します。

1.呪われなかった塩                         吹き出し2       
 「日本書記」に記された逸話には、古墳時代後期に権勢をほしいままにした大臣(おおおみ)
平群真鳥(へぐりのまとり)が天皇に災いをなそうと天下各地の塩に呪いをかけ、天皇の食料とならないようにした。ただ角鹿(敦賀)の海の塩だけ呪いをかけ忘れ、これによってこの地域の塩だけが天皇の食料になったという。この説話の意味するところは、おそらくは親平群氏の勢力によって、瀬戸内や東海からヤマトへ入る塩の道が断絶し、ヤマト朝廷が角鹿の海の塩だけに依存する一時期があったことを反映しているのであろう。したがって角鹿の海の塩の価値は、ある期間非常に大きなものであったに違いない
 ここで角鹿の海の塩といっているのは、単に敦賀湾にのみならず、敦賀で集散される越前・若狭一帯の海域の塩を指しているものと考えられる。古墳時代にさかのぼる若狭湾沿岸の製塩遺跡は実に約70ヶ所にものぼり、土器製塩の先進地区の一つに数えても過言ではない。このほか敦賀湾から越前海岸にかけても若干の製塩遺跡がある。越前から近江にかけて威勢を張るオホトの実力は、こうした塩の生産圏ならびに輸送ルートに影響を及ぼしえたに違いない。

2.日本最古の「すし」
 平城宮や藤原宮で発掘された木簡の中に、若狭の地名と納められた産物などを記した木簡が多数ある。中には「遠敷郡青里」(現在の高浜町青)から「多比鮓」(鯛すし)が納められたことを示す木簡があり、日本最古の「すし」(発酵物)の記録である。
 現在のすしはご飯に酢を加え酸味を付ける「早ずし」であるが、当時のすしは「馴れ(熟れ)鮓」と呼ばれるものであり、現在とは製法が異なっている。大宝令の注釈書である「古記」では、馴れ鮓を「蜀の人、魚を取り鱗を去らず、腸を破りて塩を以て飯酒と合わせ契わす、碑を其の上に重くし、熟せばこれを食う、名づけて鮓肉とす」であるとしている。中国の蜀の人の習慣として、魚の鱗を取らず、臓物は取り去り市塩を付け、酒と飯とを合わせたものを中に詰め、重しをして発酵すれば食べたという。現在でも琵琶湖の鮒鮓など一部でみられるが、古代においても基本的には同じような作り方であったろう。なお青里では鯛の鮓の木簡しかないが、遠敷郡木津郷では胎貝の鮓、三方郡では鰒の鮓を出している。

「地魚の聖地。若狭路」の現在

上でご紹介した「地魚の聖地。若狭路」の長い歴史の流れを受けて、現在はその伝統に裏打ちされた魅力を全国にアピールすべく様々な活動を行なっています。それに先立ち、「地魚の聖地。若狭路」の更なる躍進に向けて頂いたお言葉をご紹介します。

寄稿1寄稿2

 

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