【パンフレット】ふくい日本遺産巡り | 福井県ホームページ

最終更新日 2017年6月22日ページID 035919

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ふくい日本遺産巡り

 福井県には、平成27年に認定された「海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群-御食国若狭と鯖街道」に加え、本年度新たに「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間 ~北前船寄港地・船主集落~」「きっと恋する六古窯 -日本生まれ日本育ちのやきもの産地-」の2件が日本遺産に認定されました。

 

 これら3つの日本遺産をまとめたパンフレット「ふくい日本遺産巡り」(PDF方式:3,898kb)を作成しましたので、ぜひご覧ください。

 ふくい日本遺産巡り表紙

 

【WEB版】ふくい日本遺産巡り

 パンフレットの内容の簡略WEB版です。印刷する場合は、上記のパンフレット(PDF)をおすすめします。

【目 次】

  ■鯖街道の起点「湊町・小浜」    ■鯖街道のメインルート「若狭街道」

  ■古から栄える天然の良港「敦賀湊」 ■河野北前船主通り

  ■日本六古窯のひとつ「越前焼」


 

【平成27年度認定】海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群 ―御食国若狭と鯖街道

 鯖街道の起点「湊町・小浜」

 湊町小浜モデル小浜市

 街道の起点である湊町・小浜は、海外や日本海沿岸各地とつながる「海の道」と、都とつながる「陸の道」の結節点として、様々な物資や人、文化が集まる一大港湾都市でした。室町初期には象やクジャクなど珍奇な動物を積んだ南蛮船が日本で初めて上陸。京都までの街道をひと月かけて運ばれた珍獣たちは、人々を大いに驚かせたといいます。

 大きな交易利得を誇った小浜湊は、中世には禁裏御料所ともなっており、宮中や都との間に深つながりを持っていました。歴代の国主や廻船業で栄えた豪商たちの下、津軽十三湊の安倍氏など北方交易の人々も加わり、国内外との盛んな交易や文化交流が展開されていました。

 近世初頭には、小浜藩主京極高次によって小浜市場が整備され、流通の一大拠点が築かれました。「鯖街道」という通称は、この市場の記録「市場仲買文書」に残る「生鯖塩して担い京に行き仕る」という一文に由来するといわれます。「一塩」された若狭の海産物は、京都に運ばれ「若狭もの」、「若狭一汐」として珍重され、今に至っています。

 この地域には、廻船問屋の豪奢な邸宅・庭園や、桃山時代の世界図及日本図屏風、南蛮渡来の工芸技術に倣って発展した若狭塗などが伝わっているほか、近世の商人町・小浜西組を中心とする城下町では、京都祇園祭の系譜を引く小浜放生祭の華やかな山車や芸能が繰り広げられ、南蛮貿易や日本海交易で繁栄した湊町・小浜の雰囲気を今に伝えています。

  

鯖街道のメインルート「若狭街道」
若狭街道モデル若狭町 

 若狭と畿内を結んだ街道、いわゆる鯖街道のうち、最大の物流量を誇った若狭街道沿いには、古代の首長墳墓群から近世の宿場町まで、御食国若狭と鯖街道を代表する文化財が点在しています。

 若狭古墳時代、宮中の食膳を司る膳臣(かしわでのおみ)が治めた国であるといわれ、「御贄(みにえ)」や「御調塩(ごちょうえん)」を都に貢納する御食国のひとつでした。膳臣一族の奥都城とされる脇袋古墳群をはじめとする古墳群は近江国との国境に源流を持つ北川沿いに築かれており、北川沿いに開発された若狭街道では、古墳群に囲まれるように都との往来が脈々と行われています。

 若狭街道は軍事上も大きな役割を果たしており、戦国時代には、織田信長が豊臣秀吉や徳川家康を引き連れ、この街道から越前朝倉攻めに向かいました。後の天下人たちが意気揚々と通った出世街道ともいえる道です。

 近世中期以降、街道最大の中継地となった熊川宿では問屋たちが、小浜の仲買が送り出した大量の物資を馬借や背負に取り次ぎ、京都などに運ばせました。一日千頭の牛馬が通ったとも言われる宿場町は馬借や背負で大いに賑わいました。現在も塗り壁の商家や土蔵など多数の伝統的建造物が残る旧街道筋では、神社の祭りには豪勢な山車が繰り出し、盆には京都から伝わった盆踊りが踊られるなど当時の宿場の賑わいを伝えています。

 街道沿いの集落には道標や街道松などの遺物が点在するほか、六斎念仏や祇園祭、地蔵盆など京都伝来の民俗行事が守り伝えられており、街道の歴史的景観を彩っています。

 

【平成29年度認定】荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間 ~北前船寄港地・船主集落~

 古から栄える天然の良港「敦賀湊」
敦賀湊モデル敦賀市 

 敦賀は越路の起点として、天然の良港として発展してきた港町です。古代から北国諸国の官物輸送の拠点となっていた要津であり、渤海使の受入や宋船との貿易など、大陸との交流の記録もあります。

 現在につながる敦賀のまち、湊の繁栄の基礎は豊臣政権期に形成され、大谷吉継がその差配を行っていました。この吉継の下で徴用されていた敦賀の初期豪商の活躍により、江戸時代に入ってから敦賀湊は隆盛を迎えました。

 しかし、西廻り航路ができたことによって、米などが素通りされることになり、敦賀湊は打撃を受けました。一方で蝦夷地への進出を図る近江商人による荷所船(雇い船)が活発化し、敦賀では倉庫業や金融業、回漕業が発展しました。また、蝦夷地からは「松前物」と呼ばれるニシンや昆布が、敦賀からは茶・呉服などが輸送されました。

 敦賀に北前船主が登場するのは19世紀に入るころからで、多くは船荷問屋から派生して海運業にも携わったものでした。敦賀港は明治以降国際貿易港として発展を遂げますが、そこにはこうした北前船主たちの活躍があったのです。

 敦賀に残る北前船の名残の中でも特筆すべきなのが「昆布の手すき加工技術」で、全国シェアの80%以上を占める特産品です。遺構としては江戸後期の灯台「洲崎の高燈籠」や、幕末に水戸浪士を閉じ込めた蔵として保存されている「鰊蔵」、琵琶湖との運河開削を目指して造られた「疋田舟川」などがあります。

 

 河野北前船主通り(南越前町)

河野北前船主通りモデル南越前町馬借街道 

 南越前町河野は越前海岸の南端、敦賀湊のほぼ入口に位置し、古くから府中(現在の越前市)と敦賀を結ぶ海陸の中継地として栄え、河野・敦賀間の船稼ぎに従事していました。

 17世紀後半、敦賀湊には近江商人が荷所船(チャーター船)を共同で雇い、北海道の産物を廻漕していました。河野・敦賀間を廻漕していた河野の船はこのような地理的条件から、敦賀湊で近江商人の荷所船の船主や船頭として活躍するようになります。

 江戸時代の半ば過ぎ、商品流通の発達に伴い日本海海運は飛躍的に発展を迎えました。荷所船として運賃積を行っていた廻船も買積み商いの比率を徐々に高めるようになっていったのです。鰊肥料の需要の拡大と商品価格の地域差を利用して、北前船の買積み商いは活況を呈しました。船主達はこのチャンスを生かして大海原に進出していきます。また明治維新後の北海道開拓用の物資運搬にも大活躍し、近代日本形成の大きな力となりました。こうした活躍により、幕末から明治時代にかけて日本海沿岸有数の北前船主を輩出しました。

 このように、かつて廻船を生業としていた南越前町河野には、北前船主を代表する右近家や中村家といった船主邸や、船頭・水主(かこ)の家並など、往時の繁栄を色濃く残す独特の景観や建築様式が残っています。この邸宅や蔵が両側に立ち並ぶ趣あふれる古のメインストリートは「河野北前船主通り」と名付けられ、歴史のロマンを感じつつ散策を楽しめるエリアとなっています。

 

【平成29年度認定】きっと恋する六古窯 ―日本生まれ日本育ちのやきもの産地ー

 日本六古窯のひとつ「越前焼」

越前焼モデル越前町 

 越前焼の歴史をひも解くと、その誕生は今から約八五〇年前の平安時代末期に遡ります。元々須恵器を焼いていた地域でしたが、平安時代末期に常滑の技術を導入して焼き締め陶を作り始めました。最初に窯が築かれたのは、現在「越前陶芸村」のある越前町小曽原だったといわれています。壺、甕、すり鉢などの特徴から、初期の越前焼の生産は常滑からこの地まではるばるやって来た陶工の集団が行っていたものと思われます。

 越前焼では主に壺、甕、すり鉢が生産されていましたが、当時は宗教的色彩を持つ経筒を納める甕や三筋壺なども生産されました。硬くて丈夫な越前焼は、越前海岸から船に乗せて北海道南部から島根県までの日本海沿岸に住む人々の元に運ばれ、大きな甕や壺は水や穀物の貯蔵、藍染め、銭瓶などとして重宝されました。こうして北陸地方最大、日本海側最大の窯場へと発展した室町時代後期、越前焼は最盛期を迎えました。

 しかし、江戸時代中期になると瀬戸焼などに押されて越前焼は次第に衰退し、生産量も縮小していきました。窯は平等村の集落近くに移り、当時の古文書を読むと平等村の人々が農作業と焼き物作りで生計を立てていたこと、また燃料の薪や瓶土(べと)と呼ぶ粘土を集めるのに大変苦労していたことなどが伺えます。

 越前焼は、戦後、日本六古窯に数えられるようになり、また越前陶芸村の建設によって多くの陶芸家が全国から集まりました。現在は焼き締め陶の伝統を生かした種々の新しい作陶が試みられています。

 

ふくいの日本遺産を学ぶスポット 

福井県立歴史博物館 

県立博物館

 緑豊かな公園に隣接する博物館、北前船や越前焼などの資料も展示しています。
 そのほか、昭和30~40年代の再現街並のある「昭和のくらし」コーナーも人気。

【住所】福井市大宮2-19-15
【TEL】0776-22-4675
【入館料】一般100円 高校生以下・70歳以上無料
【開館時間】9:00~17:00(最終入館16:30)
【休館】第2・第4水曜日、年末年始(12/28~1/2)

福井県立若狭歴史博物館

県立若狭博物館

 「御食国」としての証である木簡や大規模寺社の資料・出土品等を紹介しています。鯖街道をプロジェクションマッピングでダイナミックに体験できます。

【住所】小浜市遠敷2-104

【TEL】0770-56-0525
【入館料】一般300円 高校生以下・70歳以上無料
【開館時間】9:00~17:00(最終入館16:30)
【休館】当館指定日、年末年始

御食国若狭おばま食文化館

おばま食文化館
 食にまつわる歴史・文化や伝承料理などを展示する「ミュージアム」、郷土料理などを作り味わう「キッチ
ンスタジオ」、伝統工芸を肌で感じる「若狭工房」などがあり、若狭おばまの魅力を満喫できます。

【住所】小浜市川崎3-4
【TEL】0770-53-1000
【入館料】無料

     (ただし、工房体験、濱の湯等は有料)
【開館時間】9:00~18:00

     (12月~2月は9:00~17:00)
【休館】毎週水曜日、年末年始

若狭町鯖街道熊川宿資料館

熊川宿
 昭和15年に熊川村役場として建てた建物です。熊川の歴史の厚みを感じさせてくれる建物で、熊川宿と鯖街道の歴史を見せてくれる資料館です。

【住所】三方上中郡若狭町熊川30-4-2
【TEL】0770-62-0330
【入館料】高校生以上200円 中学生以下および
 
    障がいのある方無料
【開館時間】9:00~17:00(最終入館16:30)
     (12月~3月は16:00まで)
【休館】月曜日、祝日の翌日、
    年末年始(12/28~1/4)

敦賀市立博物館

敦賀市博物館
 昭和2年に竣工した旧大和田銀行本店建物を活用した博物館です。港町敦賀の歴史を象徴する近代建造物でもあります。

【住所】敦賀市相生町7番8号
【TEL】0770-25-7033
【入館料】一般300円、
高校生以下および障がいのある方(付き添いの方1名を含む)無料
【開館時間】10:00~17:00
【休館】毎週月曜日、祝日の翌日、
    年末年始(12/29~1/3) 

北前船主の館右近家

右近家の館
 江戸後期~明治中期にかけて、日本海・瀬戸内海・上方の諸地域間の物資の流通や文化の交流に重要な役割を果たした”北前船”をテーマとした資料館です。

【住所】南条郡南越前町河野2-15
【TEL】0778-48-2196
【入館料】高校生以上500円 小中学生300円

【開館時間】9:00~16:00
【休館】水曜日、年末年始(12/28~1/3)
 

福井県陶芸館

福井県陶芸館

 越前焼を、見て学ぶ「資料館」、作って楽しむ「陶芸教室」、使って味わう「茶苑」が揃っています。越前焼のすべてを知ることができます。

【住所】丹生郡越前町小曽原120-61
【TEL】0778-32-2174
【入館料】一般200円 高校生以下・70歳以上無料
【開館時間】9:00~17:00(最終入館16:30)
【休館】月曜日・休日の翌日(土日休日を除く)、年末年始(12/28~1/4)

越前町織田文化歴史館

織田歴史文化館

 越前二ノ宮・劔神社、戦国大名・織田信長、日本六古窯・越前焼など、越前町の歴史に関する展示を行なっています。

【住所】丹生郡越前町織田153-1-8
【TEL】0778-36-2288
【入館料】一般100円 中学生以下・70歳以上無料
【開館時間】10:00~18:00(最終入館17:30)
【休館】月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始(12/28~1/3)

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